落語家の桂米朝師匠が文化勲章を受章された。人間国宝としては亡くなった柳家小さん師匠についで二人目だったが、文化勲章の受章は落語家では初めて。
米朝師匠は落語家ではあるが、もともとは研究者だった。大東文化大の学生の時、作家で、芸能研究家の正岡容の門弟となり、芸能の研究を続けていた。戦争が終わり、関西に戻った米朝師匠は舞台の評論を書いたり、落語会を企画し、その司会を務めるたりするなど研究者のようなことをされていた。だが、瀕死の上方落語の現状を知った正岡から「落語家になって後世に残せ」と命を受け、四代目桂米団治に入門し、落語家へなった。
だから、入門当初から落語家と研究者としての二足のわらじを履いた。
入門してすぐ滅びかけた上方落語の演目の収集を高齢の先輩から学び、研究し、演じた。300年の歴史を持つ上方落語は、江戸時代の時事風俗、習慣が色濃く残され、その当時でも観客に通じないものも多かった。そこで演目の風格を残しながら新たに焼き直し、観客が喜ぶ「商品」に仕立て上げた。「はてなの茶碗」「天狗裁き」・・・現在も残る上方落語の演目のほとんどは何らかの形で米朝師匠によって手が入れられているといわれる。
また、人気落語家としてメディアで引っ張りだこになっても、浪曲や講談、寄席囃子などさまざまな上方芸能の研究は続け、その成果を「上方落語ノート」などの著書にまとめた。米朝師匠の研究や著書がなければ、今の上方落語の隆盛や上方文化の継承はなかったと言っていい。
「文化勲章」と「人間国宝」。この二つの栄誉は、米朝師匠が歩み続けた二足のわらじが認められたことを意味しているようで、本当にうれしい。