2014-03-20

春の匂い


 この季節、難波の街のあちこちからただよってくる鬢付け油の匂い。
 
 甘いが、凛としたその香りは力士の存在感を強め、相撲が神事であるということを思い出させてくれる。

 そして、大阪の春の訪れを毎年知らせてくれる。


大阪市中央区で
RICOH GR


2014-03-14

アンドレアス・グルスキー



 大阪・中之島の国立国際美術館で開催されているアンドレアス・グルスキー展。
 
 ドイツの現代写真を代表する写真家アンドレアス・グルスキー。会場には1980年の初期作品から2012年の最新作「カタール」まで約50点が独自の構成で展示されている。

 欧州の多くの家庭にあるであろうガスレンジを被写体にした「ガスレンジ」、アメリカの100円ショップの店内を切り取った「99セント」、北朝鮮のマスゲームの少女の群像を撮影した「平壌」、人口衛星からの海面や地表の写真を組み合せ加工した「オーシャン」など、スケールの違う被写体の数々に驚かされる。

 どの作品からもかすかに浮かびあがるのが<人々の営み>。それはキッチンの隅にあるガスレンジにともった青い炎であれ、宇宙からの視点であれ、この地球に生きる人々とその生活が、独自の構図と加工で表現されている。
 
 印象に強く残ったのは岐阜県飛騨市にあるスーパーカミオカンデのタンクの内部を撮った「カミオカンデ」。ニュートリノを検出するための巨大装置で、構造上、機能上とも<美>とは無縁であるはずの観測施設だが、施設一面に覆われた1000本の金色の光電子増倍管は、通常は人の目に触れることもない地中奥深く満たされた超純水の中で、神秘的な美しさを見せている。グルスキーは普段は見ることのできないこの地下1000メートルにある人造物を、超純水に浮かぶ小さなボートとそっと対比させる。その圧倒的な光景は、それが人の手によって作られた人造物ということをしばし忘れさせる。




大阪・中之島で
FUJIFILM X-E2  XF 35mm F1.4



 

2014-03-11

あの日から3年


 
 あの日から3年。
 
 あの地震で東北、日本の心は大きく傷ついた。「復興」という声に背中を押されながら必死で前を歩く人々の心の痛みは、どんなに前に進んでも完全には癒えず、奥底にじっと残っている。そして、その悲しみに呼応した人々の心も小さな軋みをあげている。それは自分自身では気がつかなくても。

 午後3時発の松島の島々を巡る遊覧船に乗るつもりだった。海岸線の小さな寿司屋で遅めの昼食をとり、船着き場へ入ろうとした時、午後2時46分を迎えた。

 導かれるように避難したお寺での数日間の日々が、その後の自分の道を示してくれた。光のない闇の中で、一睡もせず我々を見守り続けた若い修行僧。家族の安否が分からず、引きずり込まれそうな不安を、穏やかに、あたたかく受け止めた老僧。ラジオから数分ごとに聞こえてくる緊急地震速報の不穏な和音におびえる中、彼らがそばにいてくれるだけで、そこにいる全員が、自分ひとりではないと感じ、想像もできない圧倒的な現実とかろうじて向き合えた。ただ彼らがそばにいるというだけで。
 
 僧侶らは私に<存在>することのすごさ、大切さを身をもって教えてくれた。そのとき決めた。数々の偶然によって生かされた自分の残りの時間を、傷ついた多くの人々と一緒に生きて行くことを。心に寄り添い、共に生きることを。
 



RICOH GR


2014-03-08

エスカレーター


 東京では左に、大阪では右に立つエスカレーター。広島で生まれ育ったこともあり、どちらが自分にとって自然なのかは今でもわからない。だが、エスカレーターで歩くようになったのは大阪に住み始めてから。

 そんなことを思いながら閉館した大阪・なんばの新歌舞伎座の前を通った。そういえば、日本で最初に劇場内にエスカレーターが設置されたのはこの新歌舞伎座だった。閉館前にみた重厚で豪華な作りが今は懐かしい。



大阪・心斎橋で
FUJIFILM X-E2  XF 35mm F1.4


 

2014-03-03

スーツ


 久しぶりにスーツを着た。
一年前までは一年のうち着ていない日のほうを数える方が早かった。それが今では月に一度あるかないか。袖を通すと身体が勝手にあの当時の緊張や熱気を思い出す。

 街では就職活動中の多くの学生が、希望と不安が入り交じった顔で歩いている。新しいけど、少しだけサイズがあっていないそのスーツ。そのスーツがなじむ頃、彼らはどんな表情で仕事をしているのだろか。              
                                


   大阪・梅田で 
RICOH GR