2013-10-31

ハロウィン


 年々派手になるハロウィン。

 でも今年は大都市を中心に特に派手だったような気がする。

 もともとは秋の収穫祭からきたハロウィン。

 秋祭りなどで五穀豊穣を祈り祝った日本の文化と親和性があったのだろうか。


 RICOH GR

2013-10-30

御神田



住吉大社の御神田。
たわわに実った黄金色の稲穂が揺れる。


2013-10-29

ただの数字じゃない。


地下鉄御堂筋線に乗ると黄色の<デジタル数字>が中刷り広告がずらりと並ぶ。
よく見ると一枚一枚その数字は違い、それが大阪マラソンで走った市民ランナーの完走タイムと直筆メッセージだと気づく。セイコーの広告だが、こんな広告はあたたかく、楽しい。

2013-10-27

大阪マラソン


3回目を迎えた大阪マラソン。

沿道での初めての応援。知っている人、知らない人など関係なく、みなあたたかい声をかけ、走る人もそれに応える。

楽しさ、あたたかさはどの都市の市民マラソンにも負けていない。


2013-10-25

茶屋町



 台風のせいもあるだろうが、あれほど暑かったことが昨年のことのように思えてくる。

 街を歩く人々の装いも急に変わり、この台風が過ぎればあっという間に冬がやってくるのだろう。秋も春も年々短くなるような気がする。

 

2013-10-24

台風と駐輪場



 地下深くにある駐輪場。コンクリートと主のいない無機質な自転車に囲まれていると、自分がどこにいるのかわからなくなる。
 
 じわっとした緊張を隠しながら地上にあがると、降りる前には降っていなかった雨。
 
 風も出てきた。二つの大きな台風が近づいているという。
 
 人工の空間の居心地の悪さと、自然の脅威に知らず知らずのうちに構えてしまう。

2013-10-16

フィルム



久しぶりにフィムルカメラを使おうと、フィルムを買いにヨドバシカメラへ。
以前はスーパーの冷凍食品とアイスクリーム売り場が一つになったような広さのケースにずらりと並べられていたが、今では、店員に聞かなければ分からないような片隅にひっそりと並べられている。メーカーも、種類も驚くほど少なく。

写真が好きになった時にはすでにデジタルカメラはあり、いつかはフィルムがなくなるだろうと思っていたが、それは自分が写真を楽しむ間ではないだろうと漠然と思っていた。しかし、選ぶ楽しみすらなくなったフィルム売り場に立つと、その日は自分が思っているより近いのかもしれない。

寂しさという単純な想いだけでなく、なくなることへの恐ろしさも感じつつ、それでも今まだ使えるという幸運をしっかりと意識して写真を撮っていきたい。

2013-10-14

五重塔



 中学生の時の修学旅行も奈良だった。東大寺の大仏に、飛鳥の亀石、興福寺にもきたかもしれない。

 でもその時の思い出はあまりない。かすかに記憶の中にあるのは友達と騒いだ夜の風呂ぐらい。
 
 数十年たった今訪れた奈良の寺社は、歴史の重さに圧倒される自分と違い、あの時と同じ姿でそこにあった。



2013-10-11

土産物屋



 奈良への一泊旅行。平日だと思い油断していると、そこは修学旅行にきた児童、生徒であふれかえっていた。

 夜になると、風呂上がり、真っ赤な顔したほかほかの児童の集団が土産物屋に押し寄せる。

 軒先では、昼間見ると「誰が買うんだろう」と思っていたおもちゃの日本刀やキーホルダーを手に、大騒ぎしている。



2013-10-08

ビーグル38


 
 松竹芸能の「ビーグル38」が解散したという記事がネットで小さく流れていた。
 そんな名前の芸人いたかなあ、でも、記事になるぐらいだからそこそこ知られているのだろうと記事をたどると、納得した。彼らだった。
 自分にとっては「せんたくばさみ」の方がしっくりときた。

 ビーグル38のメンバーの能勢浩さん、加藤統士さんは以前、吉本英和さんと3人でせんたくばさみという名のトリオを結成していた。そのトリオは2000年代前半、ABCお笑い新人グランプリや笑いの超新星など関西のお笑い賞レース入賞の常連で、将来が期待されていた。バラエティー番組などにも少しずつだが出るようになってきた。
 そんな2005年の秋、難波を歩いていると、どこかで見たことのある若者が、雀荘の看板を持って立っていた。若者もこちらに気づいたようだ。
 「おはようございます」
 それでわかった。せんたくばさみの吉本さんだった。こちらも頭を下げながら、「仕事忙しくなってきているのに、まだバイトも続けているのですか?」と聞いた。
 「実は解散したんです」
 驚いた。超売れっ子までにはなっていなかったが、仕事は十分にあったはずだし、これからもっと増えてくるだろうと思っていたからだ。
 驚く私に気を使ってか「ぼく麻雀の世界で食べて行こうと思っているんです」とも。
 せんたくばさみの解散だった。
 
 一方、能勢さんと加藤さんは残り「うなぎ」の名でコンビとして再スタートした。しばらくすると、彼らがベテラン漫才師をパロディにした漫才をしていることを知った。「いとしこいし」の喜味こいし先生をモチーフにした能勢さんと、もともとボケのキャラクターが際立っていた加藤さんの掛け合いはよくできていた。しっかりとした世界観ができあがっていた。ネタの中身を変えれば応用がきき、しばらくは飽きられないだろう。そう漠然と感じた。その後、自分がお笑いの世界からは慣れたこともあり、中屋卓さんが加入した「ビーグル38」のことは知らなかった。

 解散の理由はわからないが、最初のトリオ結成から17年での解散。 能勢さんと加藤さんは40歳前後。中屋さんは32歳。能勢さんと中屋さんはピン芸人として再出発するといい、加藤さんは別の道に行かれるという。このまま続けていても、能勢さんと加藤さんがいる「ビーグル38」なら食べていけたと思う。その上での解散。ピン芸人としての能勢さん、中屋さんはもちろんだが、芸界を離れる加藤さんを応援したい。せんたくばさみ解散時、吉本さんがプロの雀士になることを応援したように……。自分が42歳で進路を変更したから特にそう思う。 

 吉本さんは現在、東京で日本プロ麻雀協会のプロの雀士として活躍している。