松竹芸能の「ビーグル38」が解散したという記事がネットで小さく流れていた。
そんな名前の芸人いたかなあ、でも、記事になるぐらいだからそこそこ知られているのだろうと記事をたどると、納得した。彼らだった。
自分にとっては「せんたくばさみ」の方がしっくりときた。
ビーグル38のメンバーの能勢浩さん、加藤統士さんは以前、吉本英和さんと3人でせんたくばさみという名のトリオを結成していた。そのトリオは2000年代前半、ABCお笑い新人グランプリや笑いの超新星など関西のお笑い賞レース入賞の常連で、将来が期待されていた。バラエティー番組などにも少しずつだが出るようになってきた。
そんな2005年の秋、難波を歩いていると、どこかで見たことのある若者が、雀荘の看板を持って立っていた。若者もこちらに気づいたようだ。
「おはようございます」
それでわかった。せんたくばさみの吉本さんだった。こちらも頭を下げながら、「仕事忙しくなってきているのに、まだバイトも続けているのですか?」と聞いた。
「実は解散したんです」
驚いた。超売れっ子までにはなっていなかったが、仕事は十分にあったはずだし、これからもっと増えてくるだろうと思っていたからだ。
驚く私に気を使ってか「ぼく麻雀の世界で食べて行こうと思っているんです」とも。
せんたくばさみの解散だった。
一方、能勢さんと加藤さんは残り「うなぎ」の名でコンビとして再スタートした。しばらくすると、彼らがベテラン漫才師をパロディにした漫才をしていることを知った。「いとしこいし」の喜味こいし先生をモチーフにした能勢さんと、もともとボケのキャラクターが際立っていた加藤さんの掛け合いはよくできていた。しっかりとした世界観ができあがっていた。ネタの中身を変えれば応用がきき、しばらくは飽きられないだろう。そう漠然と感じた。その後、自分がお笑いの世界からは慣れたこともあり、中屋卓さんが加入した「ビーグル38」のことは知らなかった。
解散の理由はわからないが、最初のトリオ結成から17年での解散。 能勢さんと加藤さんは40歳前後。中屋さんは32歳。能勢さんと中屋さんはピン芸人として再出発するといい、加藤さんは別の道に行かれるという。このまま続けていても、能勢さんと加藤さんがいる「ビーグル38」なら食べていけたと思う。その上での解散。ピン芸人としての能勢さん、中屋さんはもちろんだが、芸界を離れる加藤さんを応援したい。せんたくばさみ解散時、吉本さんがプロの雀士になることを応援したように……。自分が42歳で進路を変更したから特にそう思う。
吉本さんは現在、東京で日本プロ麻雀協会のプロの雀士として活躍している。