2016-01-03

2016年




 2016年が始まった。昨年のブログには「今年ほど日本が、世界が、どんな一年になるのだろうかと考えたことはない。」と書いて一年が始まった。
 残念ながら予想通り日本が、世界が、大変な一年になった。そのうねりになんとか抗おうとするが、修練と鍛錬の時ははまだ終わらず悔しいも思いもした。今年は復帰の年。自分の力を過信せず、しかし確実にできることは誠実にやっていきたい。

2015-03-25

米朝師匠



 
 今、上方の落語家は、250人を越える。米朝師匠がいなければ、ここまでの隆盛はなかっただろう。
  米朝師匠は落語家の<商品>である演目の数が少なければ、上方落語の復興と広がりはあり得ないと考え、その発掘と伝承に力で取り組んだ。『地獄八景亡者戯』『はてなの茶碗』『天狗裁き』『算数の平兵衛』など今日、高座でよく聞くことのできるこれらの噺はいずれも米朝師匠が復活させた。

 入門当初から演目の復活に対する熱意はなみなみではなく、師匠である四代目桂米団治のお通夜の席にお訪れた先輩噺家から、古い演目についての演出について聞き取りをおこなったこともある。断片的にしか残ってなかった噺について、故事を丹念に調べ、その土地の歴史や当時の生活環境、時事風俗などから補い、息吹を与えた。

 その一方で、万人に上方落語が分かるようにする工夫も怠らなかった。現代では通用しない古典落語の言葉や事柄を<まくら>と呼ばれる演目の冒頭でさらりと解説。関西以外の人には聞きやすいといえなかった落語に出てくる大阪弁を、聞きやすい大阪弁にして語り、上方落語の面白さを全国に伝えた。古典落語の風格を保ちつつ、時代の感性を取り込み、やさしい大阪弁で伝える。それが米朝落語だったと思う。

 その真骨頂が『地獄八景亡者戯』だった。江戸時代から伝わる小咄を原点とした噺を、古典落語の風格を崩さず作り直し、時々の時事風俗を取り込んだ一時間を越える超大作。1971年に開催した東京での初の独演会でも演じた。現在では一門の枠を越え、落語界の財産になっている。

 もう一つの姿が、大阪の伝統芸能の研究者だった。落語家になる前に寄席文化研究家の正岡容の弟子となった。正岡の命により落語家になった後も、浪曲や講談、寄席囃子などさまざまな上方芸能の研究は続け、その成果を『上方落語ノート』『米朝ばなし 上方落語地図』、『桂米朝集成』などの著書にまとめた。なかでも『米朝落語全集』は上方の落語家にとって教科書となっている。それらの研究や著書がなければ、今の上方落語の隆盛や上方文化の継承はなかった。
 
 かつて上方落語の将来について聞いたことがある。落語の定席「天満天神繁昌亭」ができる前の混沌とした時期だった。弟子の高座の声が聞こえてくる楽屋で、「先のことはわからんなあ」と言いながら、じっとその高座に耳を傾けながら、「古いものをきちっとやっているものもいる。新しいものをやっているものもいる。形は変わっていくかもしれないが、落語という芸は滅びないと思いますなあ」と話された。
 その姿に、上方落語を一生かけて「文化遺産」にまで高めた噺家、芸能研究家の自負と凄みを感じると同時に、後輩を見守るまなざしは「百年目」の大旦那のようにあたたかかった。
 
 
天満天神繁昌亭の舞台上には師匠が書かれた「楽」の文字が見守ってくれている。
 


2015-03-15

三月場所





大相撲三月場所も中日。
難波のあちこちでお相撲さんとすれ違う。

2015-03-11

あれから4年



今の進路を歩こうと決めたのはあの日があったからでした。あれから4年。
思い描いた道を歩いていることに対する確かな実感と、未だに感じる戸惑い。そしてもっともっと勉強しなければという焦燥。
自分が役に立てるのは5年後からだと言い聞かせ勉強を続けよう。

2015-01-03

2015年


 2015年がはじまった。いつもは自分にとってこの一年がどんな年になるのだろうかと考えるが、今年ほど日本が、世界が、どんな一年になるのだろうかと考えたことはない。


FUJIFILM X-T1 XF 18-55mm F2.8-4.0

 
 

2014-12-29

手帳


 
 そろそろ今年も終わる。大晦日前の恒例の儀式は手帳を変えること。この5、6年は「ほぼ日手帳」を使っていたので、毎年、9月にオンラインサイトやLOFTで購入し、この時期になると自動的に変えていた。 24時間、精神的に拘束されているような生活の中で、ほぼ日手帳の持つ「ゆるさ」は自分の心にゆとりとくつろぎを与えてくれていた。

 しかし、この1年、生活リズムがかわり、これまでとは違い自己管理が必要となった。拘束された生活から、自分で組み立てる生活へ。それまでの捻出したようなゆとりとくつろぎは必要なくなり、すべての予定を、ゆとりやくつろぎをも自分で設定できるようになった。
 すると、これまで愛用していたほぼ日特有のその「ゆるさ」が自分の プランニングの思考を止めるようになった。いつしか「ほぼ日」に記入する前に、もう一冊小さなノートで週単位の予定を組み、検討するようになった。

 来年は思い切って週単位を中心とした手帳に変えようと決めた。「見開き一週間バーティカル型」と呼ばれる1日の時間が縦ラインで表されるタイプに。この2ヶ月試験的に使ってみたが、今の自分にはちょうどいい。特に「最優先事項」を中心としたタスクによるスケジューリングをしているので、あらかじめ「最優先事項」を枠取りしやすいバーティカル型はとても使いやすかった。
   それでも「ほぼ日」への未練もある。スケジュールやタスク管理は新しい手帳だが、 日記部分だけは「ほぼ日」にしようかとも思っている。




FUJIFILM X-T1 XF 18-55mm F2.8-4.0

2014-12-15

考え続けること




 選挙が終わった。

 成人してから何度目だろう。
 それでも今回ほど、投票ボックスの前で鉛筆を持つ手が止まったことはなかった。
 家に帰り選挙速報のテレビの画像をぼんやりと眺める。


 遠い未来、過去を振り返ったとき、「あの選挙がきっかけだった」と言われないように、考え続けなければならない。残念だけど。




FUJIFILM X-T1 XF 18-55mm F2.8-4.0

2014-09-27

運動会


数十年ぶりに訪れた小学校の運動会。
大玉転がしに、民謡に組体操。昔と変わらない種目が並んでいてすこしほっとする。



RICOH GR

2014-08-31


 河内音頭の節回しが聞こえなくなった櫓。大阪の夏も終わりに近づく。
 



RICOH GR

2014-08-26

ラムネ



夏が終わろうとしている。
暑さ、豪雨、子どものころ感じたものとは違った夏だった。
夜店で見つけたラムネだけがあのころと同じだった。



FUJIFILM X-E2  XF 35mm F1.4  

2014-08-09

お盆前の台風


 
 この時期の台風は珍しい。お盆と台風の組み合わせに慣れていないのか、街を歩く人々はいつもに比べどこか上の空のような気がする。話すことを聞いても、どこか遠い所での話題のように聞こえる。だからなのか雨が少しの時間でも止めば、その台風が、通り過ぎたように振る舞っている。その台風が、かつて経験したことのないような雨を降らすとしても。



RICOH GR

 
  

2014-07-28

ローカル線


 夏休みがはじまった。

 二人で乗ったローカル線。
 
 いつもと違う時間が流れている。
 
 いつもと違う景色が流れている。




 
 RICOH GR


 

2014-07-18

夏休み


 
 小学校の時の夏休み。渡された宿題の多さに辟易しながらも、明日から始まる特別な時間をどう過ごすのか考えるだけで浮き足立っていた。
   だれもいないプールを前にすると、はるか昔に忘れていたあの感覚を思い出す。




RICOH GR

2014-05-05

ハッシュドポテト



 何年かぶりに朝食をマクドで食べた。
 昔と同じソーセージマフィンとハッシュドポテト、そしてアイスコーヒーを頼む。ハッシュポテトは相変わらずうまい。コーヒーは心なしか昔より美味しくなっているような気がした。
 社会人になったばかりのころ、毎朝のように朝マックを食べていた。店内で食べることもあれば、車の助手席に広げながら食べることもあった。そして新聞に目を通しながら、その日の仕事に思いを巡らしていた。微妙な緊張感とともに。
 あれから何年たったろう。サクサクのハッシュポテトを食べていると、ふとその時の緊張がよみがえり、苦笑した。




大阪市中央区で
RICOH GR

2014-04-07


 こんなに新学期を意識したのは何年ぶりだろう。

 昨年、この場所から写真を撮ったときとは状況も、気持ちも大きく変わった。

 出会うもの、出会う人、初めてのことばかりで戸惑う一方、それを楽しむ自分もいる。

 桜を眺める気持ちもいつもと違う



 大阪・なんばで
   FUJIFILM X-E2  XF 18-55mm F2.8-4.0
 
 
 
 
 
 

2014-03-20

春の匂い


 この季節、難波の街のあちこちからただよってくる鬢付け油の匂い。
 
 甘いが、凛としたその香りは力士の存在感を強め、相撲が神事であるということを思い出させてくれる。

 そして、大阪の春の訪れを毎年知らせてくれる。


大阪市中央区で
RICOH GR


2014-03-14

アンドレアス・グルスキー



 大阪・中之島の国立国際美術館で開催されているアンドレアス・グルスキー展。
 
 ドイツの現代写真を代表する写真家アンドレアス・グルスキー。会場には1980年の初期作品から2012年の最新作「カタール」まで約50点が独自の構成で展示されている。

 欧州の多くの家庭にあるであろうガスレンジを被写体にした「ガスレンジ」、アメリカの100円ショップの店内を切り取った「99セント」、北朝鮮のマスゲームの少女の群像を撮影した「平壌」、人口衛星からの海面や地表の写真を組み合せ加工した「オーシャン」など、スケールの違う被写体の数々に驚かされる。

 どの作品からもかすかに浮かびあがるのが<人々の営み>。それはキッチンの隅にあるガスレンジにともった青い炎であれ、宇宙からの視点であれ、この地球に生きる人々とその生活が、独自の構図と加工で表現されている。
 
 印象に強く残ったのは岐阜県飛騨市にあるスーパーカミオカンデのタンクの内部を撮った「カミオカンデ」。ニュートリノを検出するための巨大装置で、構造上、機能上とも<美>とは無縁であるはずの観測施設だが、施設一面に覆われた1000本の金色の光電子増倍管は、通常は人の目に触れることもない地中奥深く満たされた超純水の中で、神秘的な美しさを見せている。グルスキーは普段は見ることのできないこの地下1000メートルにある人造物を、超純水に浮かぶ小さなボートとそっと対比させる。その圧倒的な光景は、それが人の手によって作られた人造物ということをしばし忘れさせる。




大阪・中之島で
FUJIFILM X-E2  XF 35mm F1.4



 

2014-03-11

あの日から3年


 
 あの日から3年。
 
 あの地震で東北、日本の心は大きく傷ついた。「復興」という声に背中を押されながら必死で前を歩く人々の心の痛みは、どんなに前に進んでも完全には癒えず、奥底にじっと残っている。そして、その悲しみに呼応した人々の心も小さな軋みをあげている。それは自分自身では気がつかなくても。

 午後3時発の松島の島々を巡る遊覧船に乗るつもりだった。海岸線の小さな寿司屋で遅めの昼食をとり、船着き場へ入ろうとした時、午後2時46分を迎えた。

 導かれるように避難したお寺での数日間の日々が、その後の自分の道を示してくれた。光のない闇の中で、一睡もせず我々を見守り続けた若い修行僧。家族の安否が分からず、引きずり込まれそうな不安を、穏やかに、あたたかく受け止めた老僧。ラジオから数分ごとに聞こえてくる緊急地震速報の不穏な和音におびえる中、彼らがそばにいてくれるだけで、そこにいる全員が、自分ひとりではないと感じ、想像もできない圧倒的な現実とかろうじて向き合えた。ただ彼らがそばにいるというだけで。
 
 僧侶らは私に<存在>することのすごさ、大切さを身をもって教えてくれた。そのとき決めた。数々の偶然によって生かされた自分の残りの時間を、傷ついた多くの人々と一緒に生きて行くことを。心に寄り添い、共に生きることを。
 



RICOH GR


2014-03-08

エスカレーター


 東京では左に、大阪では右に立つエスカレーター。広島で生まれ育ったこともあり、どちらが自分にとって自然なのかは今でもわからない。だが、エスカレーターで歩くようになったのは大阪に住み始めてから。

 そんなことを思いながら閉館した大阪・なんばの新歌舞伎座の前を通った。そういえば、日本で最初に劇場内にエスカレーターが設置されたのはこの新歌舞伎座だった。閉館前にみた重厚で豪華な作りが今は懐かしい。



大阪・心斎橋で
FUJIFILM X-E2  XF 35mm F1.4


 

2014-03-03

スーツ


 久しぶりにスーツを着た。
一年前までは一年のうち着ていない日のほうを数える方が早かった。それが今では月に一度あるかないか。袖を通すと身体が勝手にあの当時の緊張や熱気を思い出す。

 街では就職活動中の多くの学生が、希望と不安が入り交じった顔で歩いている。新しいけど、少しだけサイズがあっていないそのスーツ。そのスーツがなじむ頃、彼らはどんな表情で仕事をしているのだろか。              
                                


   大阪・梅田で 
RICOH GR